【山川草木】鐵道紀行
全国各地のローカル線を中心に、季節の鉄道風景を撮影しています。
歳末の風景 (京浜東北線)

2012.12.29 JR京浜東北線 御徒町-上野
年の瀬も押し迫ったアメ屋横丁は、たくさんの人でごった返していました。
威勢のよい掛け声の下、お客さんの財布も緩みがちです、
来年も良い年になりますように。
行ってきます! (東北本線)

2012.12.29 JR東北本線 上野駅
寝台特急カシオペアが出発する上野駅13番ホーム。
これから乗車されるご家族連れをにカメラを向けると
お父さんとお揃いコートを着たチビちゃんが元気よく敬礼をしてくれました。
家族みんなで想い出に残る楽しい旅になりますように。
歌碑の前にて (東北本線)

2012.12.29 JR東北本線 上野駅
上野駅15番線の車止め前に石川啄木の歌碑が立っています。
日ごろは素通りしてしまうこの歌碑の前ですが、
帰省のシーズンなると足を止めてしまいます。
上野始発の長距離列車の本数もすっかり少なくなりましたが、
今年もたくさんの人たちの笑顔を乗せて、
ふるさと行きの列車が発車していきます。
3段寝台の車内 (東海道本線)

2011.12.27 JR東海道本線 大阪駅
大阪発の古い3段寝台の夜行列車に乗り込みと、
若者が他の乗客を通す為に、ベットの梯子に登っている光景に出会いました。
すっかり忘れていましたが昔は通路もベットも狭かったのですね、
日本がまだイケイケだった頃の「日常」に出会えて気がしましまた
旅立ちの序章 (東海道本線)

2011.12.27 JR東海道本線 大阪駅
寝台列車に乗車する為に訪れた大阪駅のホームの上には案内板には
列車名が上下2段に並んで表示されていました。
今では寝台車が連結されている定期列車は、全国で僅か5往復と寂しくなりましたが
全盛期を思い出させる光景に思わず頬が緩みました。
浅間山の勇姿

2012.12.23 JR小海線 太田部-龍岡城
浅間山のような独立峰を被写体にする場合、
山頂までの距離がある程度取れる方が山容全体を綺麗に撮影できます。
この撮影地点から浅間山山頂までは約20km、
雪を戴いた活火山の勇姿を納めることができました。
冬至の頃
薪の香り

2012.12.23 JR小海線 高岩-八千穂
撮影場所を探していると薪を積んだ納屋が目に留まりました。
辺りにはほんのりと薪を燃やす香りが漂っています、
石油でもガズでもない自然な香りに、少し暖かな気持ちになりました。
宵の明星 (八高線)

2012.1.09 JR八高線 明覚-越生
関東地方の冬は空気が乾燥して風が強い為に、空気が澄んでいます。
西の空に陽が沈むと、その上の空に金星が現れてきました。
地上では流れ星のような光跡を残して普通列車が通過していきます、
天空と地上での光の競演を見ることができた冬の夕暮でした。
「最果て」の原野 (八高線)
蛍光灯が照らす夜

2012.1.08 JR小海線 美里駅
すっかり日が落ちた駅で列車を待っていると
キハE200形ハイブリッド気動車が入線してきました。
最新鋭の車両の室内灯はもちろん蛍光灯、ホームの明かりの蛍光灯が主役です。
「やっぱり裸電球と白熱灯がいいな」、などと無理な注文ですね。
薄化粧の浅間山

2012.1.08 JR小海線 中佐都-美里
山頂付近に雪を乗せた浅間山を冬の夕陽が照らしています。
見るからに軽そうな雪は、山頂付近の強風に飛ばされて
山腹の部分だけが残っていました。
これからの厳しい冷え込みと共に、本格的な雪化粧が始まります。
雨上がりの夜

1979.12.31 山陰本線 東萩駅
「弁当忘れても傘忘れるな」という格言がある山陰地方、
日本海からの季節風が吹きつけるこの時期は、ぐずぐずとした天気が続きます。
午前5時より走り続けた831列車も夜に入ると冷たい雨も上がっていました、
終点門司までは残り3時間余り、疲れはあるものの名残惜しくもありました。
824列車と831列車

1979.12.31 山陰本線 田儀駅
1979年当時、走行距離で日本1位と2位の誇る長距離普通列車が、
田儀駅で交換していました。
1位の 824列車 は、門司-福知山間 595.1km を約18時間半、
2位の 831列車 は、豊岡-門司間 535.2km を約18時間で掛けて走破するという
スケールの大きな列車に魅せられて、
824列車は2回、831列車は1回、始発から終点まで完乗しました。
1979年の冬、その831列車に乗車し山陰路を旧型客車に揺られて8時間半、
2本の長距離普通列車が出会う瞬間の不思議な感動を今でも思い出します。
行商の女性達

1979.12.30 境港線
今ではすっかり見かけなくなりましたが、
漁港がある路線では行商の方々が良く乗車されていました。
港に揚がった海産物を周辺の街まで売りに行くのですが、
皆さんお得意先を持っていて、それぞれの駅へ降り立っていきます。
朝早くから重たい大きな箱を幾つも重ね、列車を乗り降りする女性の姿に
改めて畏敬の念を抱きました。
夜行列車を降りて

1979.12.30 山陰本線 来待駅
昭和50年代には全国各地に夜行列車がまだまだ残っていました。
眠い目を擦りながら列車を降りたった山陰の小さな駅では
ホームを照らす電燈と駅名標の灯りがぼんやりとホームを照らしていました。
まだ覚めやらぬ冬の朝が静かに始まろうとしています。
坂道の情景
文学のこみち

2012.11.25 JR山陽本線 尾道-東尾道
「海が見えた 海が見える 五年振りに見る尾道の海はなつかしい」
有名な林芙美子の放浪記のこの一節が、「文学のこみち」の石碑に刻まれています。
文学にはあまり縁はないのですが、ここから見下す尾道の街はやはり素敵でした、
岩場に茂る松の間からチラリと見える列車の姿も、また素敵でした。
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・撮影地点 http://yahoo.jp/ncU0EL
・ワンポイント
ロープウエイ山頂駅を出た所から文学の小道を下ります。
※著名な歌人・文人達の歌碑が全部で25程あります。
尾道の印象

2012.11.25 JR山陽本線 東尾道-尾道
尾道には寺社仏閣の多いことに驚きますが、これらは飛鳥時代から交易を通じ
富を得た豪商達により寄進造営されたそうです。
まさに瀬戸内の要衝といったところでしょうか。
その尾道市街地を回り込み、天寧寺の三重塔と千光寺山ロープウェー山麓駅の傍を抜けて
黄色い115系の普通列車が尾道駅へ向って行きました。
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・撮影地点 http://yahoo.jp/y37oZG
・ワンポイント
国道2号線の千光寺下踏切を渡って真っ直ぐ登っていくと左手に公園があります。
そのからの撮影です。
「でんのすけ」がゆく

2012.11.24 高松琴平電気鉄道 琴平線 円座-一宮
車両の車体全面を広告媒体にするラッピング車両は今や全国各地で見られるようになりましたが、
ここ、琴電では四電エナジーサービス(株)のキャラクター「でんのすけ」が
ラッピング車両として運行されています。
この「でんのすけ」、のほほんとした「ゆるさ」がなかなな秀逸で、楽しませてもらいました。
路地裏を行く

2012.11.24 高松琴平電気鉄道 琴平線 高松築港-片原町
駅まで徒歩で移動中に警報機の音で近くに線路があることに気が付きました、
路地を覗き込んでみると趣きのある町屋の先を「ことでん」がゆっくり通過して行きます。
高松市は市街地のLRT導入を検討しているようですが、どうなるのでしょうか。
いずれにせよ、経営に合理性があり、利用者が使いやすい仕組みを期待したいものです。
金刀比羅宮へようこそ

2012.11.24 高松琴平電気鉄道 琴平線 琴電琴平駅
戦前の鉄道需要の柱のひとつに大きな神社への「参拝客輸送」があります。
琴平線は金刀比羅宮参詣路線として1926年(大正15年)琴平電鉄により敷設され、
多くの参拝客を運んできました。
近年はに参拝者の多くが観光バスや自家用車に移りましたが、
琴電琴平駅の小さなそしてセンスの良い駅舎は健在です。
到着する列車を待つ女性駅員から「金刀比羅宮へようこそ」という
声が聞こえてくるようです。
安芸の海辺を行く

2012.11.25 JR呉線 安芸幸崎-忠海
忠海を出た列車は安芸幸崎に向けて海沿いを走りますが
この区間は途中まで並走する道路が無く、海と線路だけの区間になります。
遠くに大三島を望みながら、色付いた木々と瀬戸内海の僅かな隙間を
105系の普通列車が車体を白く光らせて走って行きました。
小さな港町の歴史

2012.11.25 JR呉線 安芸幸崎-忠海
三原市と竹原の中間に位置する忠海(ただのうみ)は、
平清盛の父である平忠盛が海賊討伐の功績より拝領した事に由来するといいます。
その後、瀬戸内海の海運業によって発展して行った街は
皮肉にも鉄道の開通により衰退してしまうことになりますが
青い空と碧い海が、明るい表情で迎えてくれました。
小さな港町の歴史に思いを馳せながら列車を待つ晩秋の午後です。
沼田川橋梁

2012.11.25 JR呉線 三原-須波
かつては東京と広島を結んだ12両編成の寝台急行「あき」が渡った沼田川橋梁を
短い編成の105系が駆けていきます。
いまではビルも目立つようになった名撮影地ですが、
潮の香りは昔のままなのでしょうか。