【山川草木】鐵道紀行
全国各地のローカル線を中心に、季節の鉄道風景を撮影しています。
お見送り (根室本線)

1982.7.16 根室本線 帯広-札内
昔の今も旅する若者の味方のユースホステル
今は残念ながら閉館してしまいましたが、
帯広の町中に「帯広ユースホステル」がありました。
このYHの名物は、当日朝の列車に乗る宿泊者達を
残った宿泊者がYH前の踏切付近で行う
「お見送り」の行事がありました。
「お見送り」は鉄道の敷地内で行っていたようですが
当時は国鉄にも大目に見てもらえたようで、
今を思えば、おおらかな時代だったと思います。
最北の旅情 (宗谷本線)

1982.7.26 宗谷本線 稚内駅
若かりし頃、北海道を旅した時の事です
最北の駅稚内から名寄まで
旧型客車の各駅停車に乗車しました。
旅立ち前の列車の窓からホームを望むと
木造の上屋とそれを支える支柱の一群
稚泊連絡船への接続などで賑わったであろう
往時の繁栄を偲ばせていました。
往時を偲ぶ (香椎線)
国鉄時代 (香椎線)

1978.9.17 香椎線 西戸崎駅
黒地に白文字で書かれた手書きの発車時刻表が
堂々と掲げられた待合室
昭和の頃によく見かけた木造の駅待合室には
現在では見られなくなった
「温もり」が感じられるような気がします。
JRではなく「国鉄」と呼ばれていた時代
行く先々で出会った駅舎に懐かしさを感じます。
ラストキャバレー (西鉄福岡市内線)

1979.01 西鉄福岡市内線 渡辺通四丁目
現在ではほぼなくなってしまった「キャバレー」
福岡で最後まで残ったのは、渡辺通りから見ることができる
ドーム屋根の「ミナミ」でした。
正統派のキャバレには、子供の頃に親戚の宴会の流れで連れられて
一度だけ入ったことがあります。
店内は広くて、ステージがあったのは覚えていますが
綺麗なお姉さんが居たかどうかは、
眠かったせいものあり、定かではありません。
背の高いソファーと高い天井だけが記憶が残る
唯一の「キャバレー体験」でした。
木造家屋 (西鉄福岡市内線)

1978.12 西鉄福岡市内線 渡辺通二丁目
福岡の繁華街、天神から南に延びる渡辺通りですが
戦後、交通量の増大と再開発から、道路が拡張されました。
その際、道路の拡張工事は西側に拡げる形で始められ、
片側3車線の車道と広い歩道が先に敷設されましたが、
市電が走る旧道の東側は古い木造建築物などが残っており
市内の中心部で新旧取り混ぜの風景を見ることが出来ました。
現在の立派なビル街からは想像もできない
「昭和」な姿です。
庶民の街から (西鉄福岡市内線)

1978.12 西鉄福岡市内線 渡辺通一丁目
渡辺通一丁目、通称「一丁目」は庶民の街。
スーパーマーケットの「サニー」を中心に
アーケード街の「清川サンロード商店街」があり、
下町の風情が漂う街でした。
その一丁目に建設計画が持ち上がったのが
一流ホテルの「ホテルニューオータニ」と
ショッピングモールの「サンセルコ」
従来のイメージを一変する真新しいビル群が建つことになり
今ではハイカラな街に変貌した一丁目ですが
「清川サンロード商店街」は今でも健在。
いつまでの庶民の味方でいて欲しいと思います。
博多の台所 (西鉄福岡市内線)

1978.12 西鉄福岡市内線 柳橋
柳橋電停付近にある「柳橋連合市場」
創立は昭和初期の様ですが、
大きく発達したのは終戦後になります。
昭和50年代でも戦後の「闇市」の気配も漂っていましたが
中のお店は新鮮な鮮魚や海産加工品・果物、青果などの食材があり、
料理人やグルメ好きな方が多く訪れる
隠れた観光スポットにもなっているそうです。
しかしながら、ホテル建設の噂もあり
体験できるもの今のうちかもしれません。
住吉神社 (西鉄福岡市内線)

1978.11 西鉄福岡市内線 住吉
住吉電停のすぐ傍に住吉神社の南門がありました。
この南門からは直接本殿が見通すことができないため、
どんな神社なのかよく知らなかったのですが、
なんと、全国2千数百社ある住吉神社の始祖であり
海にまつわる神として信仰された由緒正しい社だそうです。
博多2000年の歴史を物語るような神社ではありますが
付近はいたって庶民的な街
散歩中の老人もふらりとやって来きます。
町名遷移 (西鉄福岡市内線)

1978.11 西鉄福岡市内線 駅前四丁目
博多駅前から天神方面へ市電に乗って進むと
「駅前四丁目」という電停がありました。
元々はこの辺りは「人参町」や「平松町」と言われた様ですが
1963年、博多駅が現在の位置に移転した際に
道路や街並みが大きく変わり、
町名も「博多駅前〇丁目」という
無味乾燥な名前に変わってしまいました。
古い地名は残してもらいたいものですが、
そこは、弥生時代から常に変わり続ける
博多の街ならではの事象なのでしょう。