【山川草木】鐵道紀行
全国各地のローカル線を中心に、季節の鉄道風景を撮影しています。
ラストキャバレー (西鉄福岡市内線)

1979.01 西鉄福岡市内線 渡辺通四丁目
現在ではほぼなくなってしまった「キャバレー」
福岡で最後まで残ったのは、渡辺通りから見ることができる
ドーム屋根の「ミナミ」でした。
正統派のキャバレには、子供の頃に親戚の宴会の流れで連れられて
一度だけ入ったことがあります。
店内は広くて、ステージがあったのは覚えていますが
綺麗なお姉さんが居たかどうかは、
眠かったせいものあり、定かではありません。
背の高いソファーと高い天井だけが記憶が残る
唯一の「キャバレー体験」でした。
木造家屋 (西鉄福岡市内線)

1978.12 西鉄福岡市内線 渡辺通二丁目
福岡の繁華街、天神から南に延びる渡辺通りですが
戦後、交通量の増大と再開発から、道路が拡張されました。
その際、道路の拡張工事は西側に拡げる形で始められ、
片側3車線の車道と広い歩道が先に敷設されましたが、
市電が走る旧道の東側は古い木造建築物などが残っており
市内の中心部で新旧取り混ぜの風景を見ることが出来ました。
現在の立派なビル街からは想像もできない
「昭和」な姿です。
庶民の街から (西鉄福岡市内線)

1978.12 西鉄福岡市内線 渡辺通一丁目
渡辺通一丁目、通称「一丁目」は庶民の街。
スーパーマーケットの「サニー」を中心に
アーケード街の「清川サンロード商店街」があり、
下町の風情が漂う街でした。
その一丁目に建設計画が持ち上がったのが
一流ホテルの「ホテルニューオータニ」と
ショッピングモールの「サンセルコ」
従来のイメージを一変する真新しいビル群が建つことになり
今ではハイカラな街に変貌した一丁目ですが
「清川サンロード商店街」は今でも健在。
いつまでの庶民の味方でいて欲しいと思います。
博多の台所 (西鉄福岡市内線)

1978.12 西鉄福岡市内線 柳橋
柳橋電停付近にある「柳橋連合市場」
創立は昭和初期の様ですが、
大きく発達したのは終戦後になります。
昭和50年代でも戦後の「闇市」の気配も漂っていましたが
中のお店は新鮮な鮮魚や海産加工品・果物、青果などの食材があり、
料理人やグルメ好きな方が多く訪れる
隠れた観光スポットにもなっているそうです。
しかしながら、ホテル建設の噂もあり
体験できるもの今のうちかもしれません。
住吉神社 (西鉄福岡市内線)

1978.11 西鉄福岡市内線 住吉
住吉電停のすぐ傍に住吉神社の南門がありました。
この南門からは直接本殿が見通すことができないため、
どんな神社なのかよく知らなかったのですが、
なんと、全国2千数百社ある住吉神社の始祖であり
海にまつわる神として信仰された由緒正しい社だそうです。
博多2000年の歴史を物語るような神社ではありますが
付近はいたって庶民的な街
散歩中の老人もふらりとやって来きます。
町名遷移 (西鉄福岡市内線)

1978.11 西鉄福岡市内線 駅前四丁目
博多駅前から天神方面へ市電に乗って進むと
「駅前四丁目」という電停がありました。
元々はこの辺りは「人参町」や「平松町」と言われた様ですが
1963年、博多駅が現在の位置に移転した際に
道路や街並みが大きく変わり、
町名も「博多駅前〇丁目」という
無味乾燥な名前に変わってしまいました。
古い地名は残してもらいたいものですが、
そこは、弥生時代から常に変わり続ける
博多の街ならではの事象なのでしょう。
駅ビルと百貨店 (西鉄福岡市内線)

1978.11 西鉄福岡市内線 博多駅前
昭和50年代の福岡市には、
天神の岩田屋、中州の玉屋、呉服町の大丸、
そして博多駅の井筒屋と、大きな百貨店が4店舗ありました。
博多駅に併設してする博多ステーションビルに入店していた
「井筒屋」ですが、九州新幹線博多延伸に伴う再開発で
2007年に撤退となりました。
他の3店舗も、現在同じ場所で営業を行っている店舗はなく
小売業界の競争の激しさや変化の大きさを感じます。
今では九州一円からたくさんの人が集まる福岡市
百貨店やショッピングモールだけでなく
変化を続けていくことでしょう。
大博通り (西鉄福岡市内線)

1979.01 西鉄福岡市内線 祇園町
緑橋電停を過ぎ、祇園町の交差点を左に曲がると
祇園町電停がありました。
路面電車が走る片側4車線の大きな通りは「大博通り」
博多駅から福岡港まで一気に貫いています。
博多の夏を告げる祭り博多祇園山笠では
舁き山が大博通り入ると道幅の広さのに幻惑され、
蛇行しながら進んで行くことでも有名です。
近代的なビルや道路と伝統のある祭りが共存する
博多を象徴する街と言ってもよいでしょう。
御笠川今昔 (西鉄福岡市内線)

1979.01 西鉄福岡市内線 緑橋
緑橋電停のすぐ脇には御笠川が流れ
市内電車は専用の鉄橋で渡っていました。
昭和の時代、政令都市のなかで唯一、一級河川がない福岡市は
中小の河川に生活排水等が流れ込み
御笠川をはじめ、どの川もあまり綺麗な状態ではありませんでした。
その後、護岸工事が行われ下水設備が整備され
今では見違えるようになった御笠川ですが、
昭和の時代の一面を垣間見たような気がします。
伝統と文化 (西鉄福岡市内線)

1979.01 西鉄福岡市内線 福高前
昨今の焼酎ブームの影響でしょうか
九州といえば焼酎というイメージになっていますが
北部九州地方はお酒といえば日本酒がスタンダード
その博多の酒といえば福高前電停脇にある石蔵酒造さんが
「博多百年蔵」といわれる明治以来の伝統を今に繋いでいます。
白壁土蔵にレンガの煙突の印象的な建物群は
隣接する福岡高校の建物と共に有形文化財として登録され、
今も現役の酒蔵として使用中
食事や宴会も楽しめるようですので、
おいしいお酒と共に、博多の文化を体験してみたいと思います。